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2016年10月27日 (木)

釣果のなかった話

宇部鉄道モハニ31について。
以下、あくまで客観的考察を目指しただけであり
各文献執筆をされた研究者各位への他意はありません。
 
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現状、形状について記述した記事として我々が容易に得られる資料としては
「買収国電 社形の電車たち」田尻弘行/阿部一紀/亀井秀夫(共著)
鉄道ピクトリアル2000年4月増刊「釣掛電車の響き」慶応義塾大学鉄研三田会編、P94(文献1)において
 1B6D6D1(窓配置)、両運、15400x2735x4130㎜ クハ11と同形
というものがあげられる。この記述の出典元は不明。
しかし、文献1における「表ー2 車歴等一覧」の
「14.宇部鉄道」の項についてはいくつか疑問があり、
クハ11 片運化、乗務員扉設置、妻面フラット化
という記述は、おそらく妻面はフラットにされていないものと推測される。
後年の日立電鉄譲渡後のクハ5300において、雨樋の端が直角に近い処理がされ
クハ5301のような丸みを帯びたものと印象の差が出たことで
クハ5300をF3(平面で3枚窓前面)と、クハ5301のC3(曲面で3枚窓前面)と
区別誤認した分類記事からの孫引きと思われる。
 
鉄道ピクトリアル1962年3月臨時増刊私鉄車両めぐり第二分冊P46(文献2)にある
ものが最初と推測され
(それ以前にあればご指摘切望。なお文献2の記事では宇部モハ21~24の
「製造当初の形態」の窓配置も買収後の修繕姿で記述しており正確とは言い難い)、
RMライブラリ64「日立電鉄の75年」P28(文献3)のクハ5300記述も同様。
後部連結面だけフラットにするようなクハ11についての事故記録は
いまのところ見当たらず、末期まで前面はRがあったと思われる。
「買収国電」佐竹保夫・晃 氏(共著、ネコパブリッシング刊)P168(文献4)のクハ5300写真では、レンズ歪曲を考慮したとしても明らかに前面はRの大きな(緩やかな)曲面で
少なくとも前面はフラットではないことが確認される。
(大画像を活かし、実際に「窓下辺」に直線定規をあててみると前面Rがごく浅くついていることが判る。
 クハ5300、5301ともほぼ同じ曲率と判断でき、雨樋角部の処理からくる先入観錯視)
ただし戦時中まで、詳細記録が網羅されたわけでもないので
「後部連結面のみフラット改造された可能性が皆無とはまでは断定できない」ものの、
前面の雨樋角部による錯覚が招いた誤認ではないか、と
後年のために提起だけはしておく次第。
 
 
山口県文書館における宇部鉄道関連の公文書(文献5)のうち
絵葉書、沿線案内や諸申請書類のほかに
県の土木部の記録から
電化の際の車両単価などの簿記や、き電図やレール継目板の第二原図などは
閲覧したものの
(公文書の開示規定に伴い、ここでは複写画像は掲げず。
学術研究や出版著述される諸兄は現地にて閲覧し、所定の手続きを)
車輛の青図は得られず。
 
「宇部鉄道社史」(文献6)と共に芳しい成果なく。
 
宇部市図書館所蔵の「宇部時報」縮刷版、昭和5年(文献7)のうち
8月~11月の内容を探すも
写真が少なく(タクシー広告などに使いまわされた画像だけ、ニュース写真はほぼ無い)、
昭和5年9月9日号(火曜)の記事「宇鐵の新電車 今月中に到着」。
百人乗り1両、とのことでモハニ31の定員84(文献1の表)とは
若干異なるが、おそらく時期からして該当はモハニ31であろうと推測。
この9月9日記事では、クハ11.12の同年月製造2両がなぜかカウントされていないが、
9月中にクハ2両も到着し運用についたと思われる
(昭和5年10月1日の鉄道省時刻改正にあわせて運行増を計画し省に認可提出とのこと、
 「宇部時報」昭和5年9月18日号より)。
 
その文献7新聞記事を探している中
(縮刷版は、マイクロフィルムとは異なり「残像効果での早捜索」が大変ラク)。
昭和5年9月13日記事
 電鉄(宇部鉄道ではなく宇部電気鉄道)の踏切で、手押し荷車が立往生し衝突、
 魚がまき散らされた事故。
昭和5年9月16日記事
 電鉄と、新坑のガス捨てトロがぶつかる事故。
というように細かい事故は網羅され、
 
昭和5年10月1日記事
省の時刻改正で郵便の集配時間も変わり、あわてて宇鉄も改正
昭和5年10月2日記事
宇鉄内でスチーム暖房を開始する予定とのこと、
等も書かれていて、細かい記事がある一方で
モハニ31就役の記事や、モハ21~の乗務員室拡張やタラップ撤去の原因は記事中に見出せず。
 
「ふるさと宇部」郷土出版社2011年、P175(文献8)のモハ22写真は
乗務員室拡張(乙室=荷物代用の引戸を、狭い開戸の乗務員扉に改造)される前の
貴重な画像であり、次位に見えているクハ11?の端からタラップ有りだったことが
確認される(Web上で宇部市の文字つきで公開されているものは、この画像の縮小)。
タラップ撤去はモハ33などの就役の際にプラットホーム嵩上げが
なされたのかは時期を追って調べず。
プラットホーム嵩上げならば文献5に記録されると思われたが該当内容なし。
 
 
このほか宇部における鉱山あるいは町史など、いろいろ探すものの、
目指すモハニ31は、当方には見つけられず。
 
関門日日新聞(文献9)は、昭和5年10月だけでも
省DC10、ツェッペリン号、京津線転覆などの写真を交えた記事があるので
鉄道関連のトピックスに、宇部鉄道も絡むかと期待するも、
昭和5年8~11月に発行された紙面の文献9には宇部鉄道モハニ31の写真は見当たらず。
 
かくて
宇部近辺の郷土史研究家に、宇部鉄道モハニ31の写真や記事を
発掘されんことを期待するものであります。

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