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2010年7月 6日 (火)

小島榮次郎に関する話

鉄道時報というのは

毎週土曜刊行の

いわば業界週刊誌(週刊紙、という表現のほうが近い?)

だったのですが、

 

大正8年秋ごろに、

鐵道時報局商事部の広告として

今で言う「求む」「売りたし」欄が掲載。

引用しますと

「一、當部は左の物件の仲介を可致候」

に始まり、

「賣物之部(左品賣リ度し)」 *カタカナと平仮名の混入は原文ママ

"三呎六吋貫通式四十人乗リ客車

 座席向ヒ合セ中央吊革式(チルド車輪)七輌"

…これはどこの客車だったのだろうか気になります

(チルド車輪なのでかなり古いと思いますが)

 

その、「鐵道時報局商事部」には

「小島榮次郎」と、代表者名が明記されています。

 

その電話番号は、当時のことゆえ

地名(局名)+3桁数字なのですが、

電略は「(コ)又ハ(コジマ)」とあって

当時の電略が、電話契約主名義を指すのかどうかわかりませんが

少なくとも、小島榮次郎が商事部を掌握していたであろうことは

明白です。

 

小島栄次郎工業所としてブローカーの活躍が

報告されている事例よりも前のこの時期、

彼が鐵道時報局に在籍していたのか、

はたまた

のちに繰り出される、手馴れた代理店契約のような

「名義だけ借り受けて」広告を出していたのか。

いずれにしても

ブローカーとしての才覚は、

少なくとも当方が思っていた(昭和一桁のころ)よりも

早くから発揮して、活躍していたようです。

 

そうなると

小島栄次郎工業所は

(よく知られる、蒲田工場名義の松井や、丸山のほかに)

なにかしら

工場をまるごと入手する機会があって独立を為したのか、

それとも一貫して工場を持たず、

本当に製作能力のない純然たるブローカー

であったのか、気になり始めました。

どうでもいいことなんですけどね。

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