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2010年7月 8日 (木)

鶴ヶ城と、石垣の後日談

先々週のことですが

切羽詰った催事前、

されど材料が届かないことには

慌てようもなく。

一般的にはこれを「諦め」と呼ぶようです。

   

 

弘前にも城はあるのですが

汽車も眺めたくなり、

催事前の週末に、会津まで往復。

軽乗用車の中、PAで寝袋を使うと

翌日全身が痛いことは幾度か経験済ですが

さすがに雨の中は厳しかった

(窓を開けられない&アイドリングは嫌)。 

   

キハ30改の代替として登場した、会津鉄道の新製トロッコは

片運(キハ40改と接する側はヘッドライトなし、

テールライトもなく、運転席側の妻窓まで埋め込んでいる)

ということを実際に目で見て確認し、

日中線の旧熱塩駅や

沼尻の保存車を見て回り。

 

そのさなか

1時間ほど空いたので

駆け足で、石垣だけを見に行きました。

模型で、雨に濡れた景色を再現するのは

難しい… 

 

いくら縄張の中とはいえ

本丸に行く前の通路で

かような「石垣の画像」を記録している人など

他にいらっしゃるはずもなく。

Img_3844

 

 

会津若松駅から、鶴ヶ城に向かう途中

なにか違和感を覚えたのです。

天守閣が見えなかったな、そういえば。

・・・、その理由が

Img_3851

 

 

 

 

 

改修中なのでした。

  

事前に何も調べずに、行き当たりばったりで

見に行くから仕方なく。

  

  

西若松駅は、

過去に若松で野宿しそこねた時代の

(春先で外気温は低く、宿も満室で夜通し歩き続け、

 倒れるように只見線車内で寝た)

木造の(失礼ながらボロボロの)跨線橋は姿を消して、

近代的になっていました。

 

寒さと睡魔と空腹、と闘った記憶が刻まれているだけに

忘れえぬ駅なのですが

時間の流れの速さに、戸惑うだけでありました。

____

という内容の下書きをしたまま忘れていたら

お世話になっている九州の方から先日、

CDを頂きまして、

いわく「熊本城の石垣を撮影してきた」と。

あとで確認したら

本まで、2冊も頂いてしまっており

(ありがとうございます)、

…せっかく資料があるのなら

 新たにベースを石膏こねて作り

 判る範囲の溝の形は

 彫り込みそうな予感。

 ~数年がかりの長期製作になりそう。その本についてはまたあとで。

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